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管理会計の視点から考える、IMM発展の可能性 ~林寿和コラム 第5回

インパクト測定・管理(IMM: Impact Measurement & Management)は、もともとは投資家を実施主体と想定して誕生した概念(言葉)だと考えられますが、現在では、投資家とは別に、企業もIMMの重要な実施主体とみなされるようになってきています。

例えば、GSG Impact Japan(旧GSG国内諮問委員会)が2024年5月に公表した「インパクト企業の資本市場における情報開示及び対話のためのガイダンス」では、インパクト企業においてIMMを実践していくことの重要性が指摘されています。また、一般社団法人インパクトスタートアップ協会は、会員向けに「IMM勉強会」をシリーズで開催しており、企業における取り組み事例の共有化などが行われています(第2回IMM勉強会)。

このコラムは、この「企業主体・個社レベル」のIMMに焦点を当てています。その上で、「管理会計」と呼ばれる専門領域の見地からIMMを見つめ直すことによって、IMMが今後、大きな発展の可能性を秘めていることを述べたいと思います。

さらに、このコラムの後半では、特別ゲストとして、管理会計をご専門とする妹尾剛好・中央大学商学部教授からお直接お話を伺っています。最後までぜひご覧ください。

※このコラムでは、ここから先、簡略化のために、単に「IMM」と表記しますが、すべて「企業主体・個社レベルのIMM」を意味しています。なお、IMMの定義や、「投資家主体・ポートフォリオレベルのIMM」と、「企業主体・個社レベルのIMM」という2つの異なるレイヤーが存在することなどについて、詳しくは第1回コラム「IMM(インパクト測定・管理)とは何か?実施主体は企業か、それとも投資家か?」をご参照ください。


「管理会計」という専門領域について

「管理会計」は「財務会計」と対をなす専門領域です。

財務会計は「外部報告会計」とも呼ばれ、国際会計基準(IFRS基準)やIFRSサステナビリティ開示基準といった一定のルールに則って、投資家や債権者など外部のステークホルダーのために財務諸表などの作成と開示が行われます。財務会計の研究者は、より望ましい開示ルールの在り方や、投資家による開示情報の活用方法などについて研究を行っています。

一方の管理会計は「内部報告会計」とも呼ばれ、企業の内部管理や経営などのために会計情報を活用することを指しています。先ほどの財務会計と異なり、必ずしもルールが存在する世界ではなく、企業固有の目的やニーズに応じて柔軟に指標が設定され、主に社内で利用されます。管理会計の研究者は、企業内部における会計情報の利用の在り方などについて研究を行っています。ここでいう「会計情報」とは、売上・利益・費用といった金銭的指標のみを指しているわけではなく、いわゆる「非財務情報」も含まれます。

実際、管理会計には、非財務指標の活用に関する長い歴史が存在しており、その歴史には日本企業の取り組みも大きな影響を及ぼしてきました。

今から遡ること35年前の1989年、日本は「バブル絶頂期」だったとも言われますが、世界の時価総額上位企業50社のうち、32社を日本企業が占めていました。まさに「飛ぶ鳥を落とす勢い」だった当時の日本企業が、経営学研究における研究対象として世界から注目を集めたことは想像に難くありません。日本企業が持つ国際競争力の源泉を様々な角度から研究しようとしたわけです。それは、管理会計研究においても同様でした。当時の日本企業では(今でもそうであると思いますが)、品質や顧客満足などに関する非財務指標を重視した経営管理が行われていました。財務指標一辺倒の経営管理ではなく、非財務指標を経営管理に取り入れるための方法論として、米国で誕生したのが、1992年に発表された「バランスト・スコアカード」(BSC:Balanced Scorecard)という管理会計の技法です。BSCは、「財務指標」「顧客指標」「内部プロセス指標」「学習と成長指標」をそれぞれ活用する手法で、1992年の発表後、一世を風靡し、今日でも多くの企業がこれを活用していると言います。

このコラムでは、これ以上BSCの詳細には触れませんが、管理会計という専門領域においては、非財務指標の経営管理への活用に関する長い歴史があり、様々な知見がすでに存在しています。にもかかわらず、インパクト指標を経営管理に活用しようとするIMMとの関連性は、これまであまり意識されてこなかったと言えます。

もちろん、過去にも共通点や類似性を指摘した人はいました。例えば、前述のBSCを、通常の営利企業ではなく、社会的企業の経営管理に応用しようとした研究も存在します。あるいは、(これは企業主体・個社レベルのIMMに限定されるものではありませんが)IMMを実践する関係者の間でよく使われている「ロジックモデル」(インプット・アクティビティ・アウトプット・アウトカム・インパクトの因果関係の連鎖の仮説を図示したもの)と、BSCにおいて作成される「戦略マップ」と呼ばれるものとの類似性も指摘されています。

しかしながら、管理会計という専門領域の知見をIMMに橋渡ししようとする試みや議論は、今のところ局所的なものにとどまっており、大きな潮流になっているとは言い難い状況にあります。ところが、以下で述べるように、管理会計の見地からIMMを見つめ直すことによって、IMMには様々な発展の可能性があることに気付かされます。

管理会計の世界には具体的な「技法」がある:IMMも一つの技法なのか?

まず気づかされるのは、管理会計の世界では、指標の設定・活用に関する具体的な「技法」(メソッドやテクニック)が様々に考案・開発され、存在しているという点です(先ほどのBSCはその代表例です)。

日本初の技法も様々にあります。特に有名なのは、京セラで誕生した「アメーバ経営」と呼ばれる技法です。アメーバ経営は、(詳細は割愛しますが)会社組織をアメーバと呼ばれる小単位に細かく切り分け、アメーバ毎に「時間当たりの採算」(時間当たりの付加価値)という指標を測定し、活用する管理会計システムです。京セラ創業者の故・稲盛和夫氏が、2010年に破綻した日本航空(JAL)の経営再建を託された際にも、アメーバ経営の技法が持ち込まれ奏功したと言います。半導体製造装置大手ディスコが導入している「Will 会計」という仕組みも日本企業初のユニークな管理会計の技法の一つとしてビジネス誌等で繰り返し紹介されています。

もちろん、こうした管理会計の技法と、IMMは直接関係するものではありませんが(かつ、こうした技法の良し悪しをここで議論するつもりもありませんが)、IMMの世界においては、「技法」と称すべきような、具体的で固有のメソッドやテクニックはまだ確立されていないように思われます。

むしろ、IMMは、少なくとも現時点においては、「インパクト測定を活用して、人々や地球への影響・効果の改善・向上に向けてPDCAサイクルをしっかりと回し続けること」という概念の域を出ていないように思われます。

企業がIMMを通じて実質的な変化を生み出すためには、「具体的に、こういう指標をこういう体制や方法で活用してIMMに取り組めば、うまくいく可能性が高まる」、という具体的なメソッドやテクニックに関する事例が積みあがっていくことが、IMMの今後の発展にとって重要だと考えられます。

管理会計の“守備範囲”は広い:IMMもより幅広い局面で活用されるべきか?

次に述べたいのは、管理会計の“守備範囲”の広さについてです。

管理会計の世界は、初期の頃は、既に決められた目標をいかに着実に達成するか、言い換えれば、いかに目標の未達を防ぐか、という点が関心の中心だったようです。しかし現在では、こうした視点に加えて、外部環境の変化に応じて目標自体をいかに機動的にアップデートしていくか、そのために管理会計はどうあるべきか、といった点も重要な視点になっています。さらには、経営戦略自体のアップデートや、日々の業務オペレーションの改善に資するような管理会計の在り方についても研究が広がっています。

その他にも、研究開発(R&D)プロジェクトの取捨選択や、新商品開発プロジェクトの実行判断といった、将来に向けた、より望ましい意思決定に資する管理会計の在り方についても研究が進んでいます。

一方のIMMはどうでしょうか。

あくまで筆者の私見になりますが、現状のIMMは、インパクトに関して、あらかじめ決められた目標に対する進捗はどうか、進捗の遅れは生じていないか、といった観点でのインパクト測定の活用が中心になっているように感じます。これは、先ほど述べた、管理会計の初期の頃の世界観と重なるところがあるように思います。

しかし、管理会計の“守備範囲”はどんどん広がっています。これを踏まえると、IMMも、もっと幅広い経営の局面において活用されていく可能性があるのではないでしょうか。

例えば、インパクトの観点からの経営戦略の見直しに資するIMMという視点もあるかもしれません。あるいは、研究開発(R&D)プロジェクトの取捨選択や、新商品開発プロジェクトの実行判断において、インパクトの将来性を考慮した意思決定を行うためのIMMといった視点も考えられると思います。

意思決定のためのIMMに関連して、いま企業の間では、「インターナル・カーボンプライシング」(社内炭素価格)と呼ばれる取り組みが徐々に広がっています。企業内部において、温室効果ガス(GHG)排出の将来的なコストを独自に試算し、それを指標として、プロジェクトの取捨選択や意思決定などにおいて活用することで、持続可能性に配慮したより適切な意思決定を促そうとする試みです。これも、GHG排出というネガティブなインパクトを低減する意思決定を促すための測定の活用という意味で、広い意味では「IMMの一種」と捉えることができるかもしれません。

小括

このように、IMMを管理会計の視点から見つめ直すと、IMMの世界では、具体的な「技法」についての議論がまだまだ限定的であるという点や、現状で認識されている以上に、IMMは様々な局面において活用されうるものであるという点が浮かび上がってきます。

管理会計の専門家・妹尾先生に聴く:管理会計とIMM

さて、ここからは、管理会計をご専門とする妹尾剛好・中央大学商学部教授にお話しを伺いたいと思います。

妹尾 剛好 氏(中央大学商学部教授)

―― 妹尾先生は、なぜ管理会計をご専門に選ばれたのですか。管理会計研究の魅力について教えてください。

妹尾:私が管理会計を専門に選んだ理由、そもそも研究者を目指した理由は公認会計士試験に全然受からなかったからというネガティブなものも正直あります(笑)ただ、ポジティブなものとしては、指導いただいた先生方が素晴らしかったことと単純に管理会計研究が面白かったことがあります。そう、管理会計研究はとても魅力的なのです!私にとっての管理会計研究の魅力は大きく2つあり、それは「自由」で「実践に役立つ」ということです。

まず、「自由」であることの魅力です。管理会計研究の定義は様々なものがありますが、私は「管理会計」を対象とするならばどんな研究でも管理会計研究だと考えています。実際、経済学、心理学、社会学といった多様な理論ベース(ディシプリン)、分析的研究、実験、質問票調査研究、事例研究といった多様な研究方法で、管理会計は研究されています。例えば、同じBSCを対象とした研究でも、経済学をベースとし数学を用いた分析的研究、心理学をベースとし学生などを対象とした実験研究、社会学をベースとし企業の担当者を対象とした質問票調査研究や事例研究があります。前述いただいたとおり、管理会計は様々な技法があり、その守備範囲はどんどん広がっています。この管理会計という研究対象が広いからこそ、研究者が多種多様な問いを立て、その問いを解明するために適当な理論や研究方法などを「自由」に選ぶ必要があるのです。この自由度の高さは、たくさんの理論や研究方法などを学ばなければならないという大変さとともに(涙)、管理会計研究の大きな魅力だと思います。

つぎに、「実践に役立つ」ことの魅力です。当たり前ですが、管理会計は企業をはじめとする様々な組織で「実践」されています。BSCの開発者のひとりは、ロバート・キャプランという世界的に有名な管理会計研究者です。彼はトーマス・ジョンソンと共著で1987年に『レレバンス・ロスト: 管理会計の盛衰』(鳥居宏史訳、白桃書房)という本を執筆し、当時の管理会計研究が実践に役立っていなかったと主張しました。その主張の当否はともかく、この問題意識の延長として、キャプランたちは実践に役立つものとしてBSCを開発したのです。もちろん、具体的な技法の開発だけが管理会計研究の役立ち方では全くないです(むしろ例外的でしょう)。すぐに実践に役立つ研究もあれば、100年後に役立つ研究もあり得ます。しかし、実践に役立つことは管理会計研究の最も重要な目的のひとつであり、大きな魅力でもあると私は考えています。なお、実践に役立つ様々な管理会計研究をまとめた、『実務に活かす管理会計のエビデンス』(加登豊・吉田栄介・新井康平編著、中央経済社)という本があり、私も1章執筆しておりますので(笑)、ご関心があれば、ぜひお読みください(IMMに関連するものとしては、「Chapter31 長期的環境経営の障壁とエココントロールの役割」があります)。

―― 管理会計における知見は、今後のIMMに関する研究や実践に役に立つでしょうか。

妹尾:私は大いに役立つと考えていますし、実際にIMMそのものではないとしても、関連する概念には多くの管理研究者が関心をもち、研究を進めています。例えば、2023年、Journal of Management Accounting Researchという管理会計の有名な学術雑誌で、サステナビリティと管理会計研究に関する特集号が組まれました。その巻頭言では「インパクトの測定(Measurement of Impact)」が管理会計研究に適した分野として取り上げられており、IMP(Impact Management Platform)やインパクト加重会計にも言及されています。

IMMと直接的には関連しない、既存の管理会計研究の知見も、IMMに関する研究や実践に役立つはずです。特に、ご示唆いただいたとおり、非財務指標研究にはそのまま援用できるものも多いと思います(非財務指標研究の優れたレビューはこちら)。例えば、非財務指標研究の著名な研究者であるイットナーとラーカーが『ハーバード・ビジネス・レビュー』に執筆した「非財務指標の罠」という論文も、IMMの困難を考えるうえで参考になると思います。顧客満足度などの一般的な非財務指標であっても戦略や財務業績と関連するといった適切なものが必ずしも設定されていないという事実からだけでも、適切なインパクト指標の設定が容易ではないということがよくわかるでしょう。なお、私個人は非財務指標を意思決定(改善を含む)のためだけではなく、マネジャーなどの業績評価のために活用するときに困難がより大きくなると考えており、インパクト指標を業績評価、ひいては報酬とリンクすることにはかなり慎重になるべきと主張したいです。

―― 管理会計研究とIMMに関する研究を効果的に接続していくためには、どのようなことが望まれるでしょうか。

妹尾:私個人の意見としては、お互いの概念や用語を正しく理解することが重要だと考えています。ご示唆いただいたとおり、BSCはIMMの具体的な技法としても有望であり、「ロジックモデル」と「戦略マップ」には類似性があると私も思います。ただし、BSC(戦略マップ)における「因果関係」という用語は、管理会計研究においてその曖昧さや混乱が指摘されてきました(例えばこちらの論文の2節を参照)。そして、厳密な意味での因果関係がなくても、BSC(戦略マップ)の「因果関係」の情報が効果をもたらす場合があることが明らかになっています。

このようなBSC(戦略マップ)における「因果関係」という用語と、ロジックモデルにおける「因果関係」という用語は、必ずしも同じ意味ではないはずです。管理会計研究では、他にも独特な概念や用語が用いられていることが多いので、管理会計研究者はIMMの研究者や実務家に正しくかつ分かりやすくその意味を伝え、お互いの理解を促進するように努める必要があると考えています。

―― 妹尾先生のお話をお聞きして、IMMの今後の更なる発展には、管理会計研究との接続が重要なカギの一つであるという確信を深めることができました。先生の言葉を使わせていただくとすれば、『「自由」で「実践に役立つ」』IMMが、今後ますます広がっていくことを期待したいと思います。本日は貴重なお話をありがとうございました。


執筆者:林 寿和(はやし としかず)
Nippon Life Global Investors Europe Plc、Head of ESG
文部科学省、株式会社日本総合研究所を経てニッセイアセットマネジメント株式会社入社、2022 年 3 月より現職として出向中。ESG・インパクトに関するリサーチ等に携わる。2023年12月より金融庁金融研究センターの特別研究員としてIMMに関する研究プロジェクトをリードし「インパクト測定・管理(IMM)の現在地と管理会計から見た今後の在り方についての一考察」を執筆したほか、「インパクト加重会計の現状と展望:半世紀にわたる外部性の貨幣価値換算の試行を踏まえた一考察」や「インパクト創出と企業価値向上は両立するのか―事例調査とパーパスの内容分析に基づく実証分析の両面から―」を執筆(いずれも金融庁金融研究センターディスカッションペーパー、共著)。


協力者:妹尾剛好(せのお たけよし)
中央大学商学部教授
和歌山大学経済学講師、准教授、中央大学商学部准教授を経て現職。過去にはBSC、現在は予算管理や目標管理を中心に研究を行っている。まだ準備段階であるが、ESGと管理会計に関する共同研究プロジェクトにも参加している。
共著に『管理会計論15講』(横田絵理編著、新世社)、『日本的管理会計の変容』(吉田栄介編著、中央経済社)、『花王の経理パーソンになる』(吉田栄介・花王株式会社会計財務部門編著、中央経済社)などがある。


※本記事は作成時点で入手可能なデータに基づき作成しています。また、記事内容は執筆者個人の見解を含むものであり、当機構の公式見解を示すものではありません。

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